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相対性理論
-アインシュタインの皮肉-

仮説は"数学の常識は自然界の常識ではない"と考えるところから始まる

皆さんは相対性理論を知っていますでしょうか。
この理論は、アルベルト・アインシュタインさんが発見したそうです。

さて、その内容はと言いますと、どういう測定をしても光の速度は一定であり、これを観測すると、「空間」や「時間」が曲がっているという話です。
"どういう測定をしても"とは、例えば走っている人も、止まっている人も、同じ速さを観測するという事です。
簡単にいうと、光に近い速度で走れば、光はそんなに速くなく見えるはずですが、これは違って、まさに"光速の速さ"だそうです。
これをアインシュタインの相対性理論は、こう説明しています。
光と同じ「時間」や「空間」を共有している事から考えて、その「時間」や「空間」自体が曲がっているのだという事でした。
筆者は、この辺りからアインシュタインがなぜそう言ったのか、色々と疑問が湧いてきました。

数学の禁止事項を自然界の誰が守るのか?

ここで、筆者は仮説を立てる訳なんですが、皆さんは「数学でいう0割り」というのを知っていますでしょうか。
「0で割る」事は数学において、禁止されています。
よくある話では、等式を変形していて、途中で「0で割ったがために、矛盾したものが全てイコールになってしまう」という事があげられます。
これを数学では、解く人が注意して避けますが、自然界では誰が禁止してくれるのでしょう。
これが、筆者が着眼した点です。

0というのは何かというと、光の粒子である「光子」の質量です。
物理ではよく質量で割り算をするのですが、きっとここで自然界が禁止事項を破ったのでしょう。
0で割ったので、様々な状態で、秒速29万9792.458km(約30万km)の「光速」とイコールのものになってしまった、と筆者は考えます。
この数字は何かというと、きっと光の性質上でてくる数値です。
これとイコールの等式が成り立ってしまっているのではないでしょうか。

補足)0で割るとおかしい例

筆者は、光の速度の計算の上手い0割りが見つけられなかったので、その代わりに意味があまり無さそうですが、0割りの例をひとつ紹介します。
光の質量をm(=0), 光の速度をc(=約30万km), 観測者が速度vで動いている時の光の相対的な速度をc'とする。

0割り(適当な例)
相対速度の式を立てて、無理やり展開してみます。 よって、観測者が速度vで動いていても、光の相対的な速度はc(光速)と同じになる。
この方程式の展開は物理学的ではない気がするので、筆者もこれが正しいとは思えません。
(※しっかりとした答えが出せなくて、誠に申し訳ございません。)


このように、光の速度の現象は自然界の0割りによるものであると考えると、「時間」や「空間」が曲がっている訳ではないですね。

結論

この筆者の仮説は、アインシュタインの人柄をよく表していると思います。
彼は、独り「天才」として生まれ、周りの人とは違う才能を持っていました。
自分だけが違うという事を認識していたのでしょう。
この相対性理論の実験などでは、普通は「時間」や「空間」を疑わずに、「光」を疑うはずです。
「光」だけが特別なのだと。

しかし、彼は「光」を疑わずに、周りの「時間」や「空間」を疑った。
もちろん、天才のアインシュタインが「0割り」の事に気付かなかったはずがない、と思っています。
ここに「アインシュタインの皮肉」というものを感じずにはいられない筆者でした。


最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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