皆さんは、確率はこういうものだという考え方を持ってますか。
例えば、"コイントスを100回連続で表"だった男を、百発百中なので"100%の男"という事もありますね。
これは数学でいう確率とは違っています。
数学では、コイントスの一回で表がでる確率である"50%の繰り返し"という確率で考えます。
表がでるのは"50%"、裏がでるのは"50%"ですよね。
数学では、"50%を繰り返した男"です。
こういったように、"100%の男"と"50%を繰り返した男"は混同しがちです。
もう一つの落とし穴があります。
数学で"50%"といった時は、本当にそうなのかは"大数の領域"でのみ確かだという事です。
"大数の領域で"とは、1回や2回ではなく"もの凄く沢山やってみたら"半分は表がでますという感じです。
2回やって、必ず一回ずつ表と裏がでる保証はしていません。
ここまでは、数学の話でしたね。
確率を考える学問は、このようにモヤモヤしたものです。
しかし、現実を考えた時、表が出たのは色々な要因があったからだと考えませんか。
例えば、"コイントスの仕方がそうだったから表が出た"と考えるのが普通ですよね。
トスの時の力の具合とか、はじめは表を向いていて回転して、風向きが・・・といった感じです。
"確率"とは、結局はこれの話なんでしょうね。
もし、この要因がない状態で実験が出来たらどうなるか考えてみましょう。
"50%"のコイントスだったら、表がでるか、裏がでるか、いったい誰が決めるのでしょうか。
"表の確率50%"VS"裏の確率50%"
表の確率と裏の確率は対等なので、"どちらもでない"のか、"どちらもでる"のか、"通常通りどちらかがでる"のか、ですね。
結局、"通常通りどちらかがでる"だと思いますが、"表なのか裏なのか"の疑問は残ってしまいます。
要因もないのに、"表か裏のどちらがでるか"普通に考えて、ちょっと分からないですね。
"表がでる確率"と"裏がでる確率"が厳密に同じ場合を考えると、人や自然現象にない"何かの力"(もしくは未知の力)が働いて、
どちらかに決定すると考えられないでしょうか。
この力の事を「運命」と呼んでいるのかも知れませんね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。